誰かを何かに誘うということ

日曜日、好きな漫画家である志村貴子さんが池袋GAF(ガールズアニメイトフェスティバル)に作品を出すことを知って行ってみたかったのだけれど、ガールズだし一人で行くのはとても気が引けるので、誰かと一緒に行けばまだマシかなと思って誰かを誘おうと思った。でも、この場合誘うのならば女性が好ましいけど、女性にそれについて誘える人が少なく*1、しかも趣味を共有している訳ではない。また、このイベントには入場料が必要なので相手に負担をかけてしまうことになる。とすればこの場合には、入場料を相手の分まで自分が払うというのが良い方法なのだろうか?

 しかし、人を何かに誘うときに注意しなければならないことは、それが圧力・暴力になりうることであり、自分が相手に誠実な姿勢を見せれば見せるほど相手に対する暴力性は増すということである。つまり、この場合において相手の入場料を負担することはその誘いの暴力性を増加させる要因となる。これは行為の目的からして当然の帰結ではないか、と思う人がいるかもしれない。しかしそれは違う。入場料を自分が負担するということの目的は、相手が自分の誘いに乗りたいが金銭的な抑制のために乗れないという事態を解消することである。つまりそれは相手が何の外在的制約を持っていない場合に自分の誘いに積極的に乗るということを前提としている。しかしその前提は常に成り立ちうるものではない。なぜならその前提を成り立たせている要因は、相手との仲の良さと誘いの内容に対する相手の興味の二つあるからである。だから、とても仲の良い友人に何かに誘ったとしてもその前提が成り立つとは限らない。そしてそれが成り立たないとき、誘いは暴力性を増すのだ。

 翻って今回の事例を考えてみると、誘う相手が誰であれ相手が誘いの内容に興味を持っているかどうかは未知であった。つまりそうした誘い方が相手にとって高い暴力性を持つという可能性が少なからず存在したということは否定できない。とすれば、今回の場合は誘わないという選択は合理性を少なからず持っていたということになろうか。

 ということを考えたのだけれど、結局のところそのイベントは前売り券制だったので何にせよ僕は行けなかったのでした。

*1:男性についても少ない